「高崎店長のお部屋」 〜 濱川学院 ✖️ジュンク堂 コラボレート企画* 〜 

 

 瓦町FLAG3階にありますジュンク堂書店 高松店の高崎立郎店長のブックレビュー付き、おすすめ本のコーナーです。 

毎月2冊、数多くあるジュンク堂の蔵書の中から、選りすぐりの一冊をご紹介いただき、店長みずから執筆された「ブックレビュー」をUPしていきます。

また、BIBLIO店内に「高崎店長のお部屋コーナー」を増設いたしました。このページでご紹介いただく本は、すべて随時入荷していきます。

本屋の店長さんがお勧めする本を読める機会は滅多にないと思います。BIBLIOにお越しいただければ、こちらの本と共に、じっくりと本の世界に入り込むことができますよ。

みなさんのご来店、スタッフ一同お待ちしております・

 

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*南新町・田町・常磐町の南部3町商店街と、瓦町 FLAG のジュンク堂書店高松店が展開する「ジュンク堂書店×商店街」コラボレーション企画「濱川学院 meets ジュンク堂書店」

「孤独なバッタが群れるとき」東海大学出版部:前野ウルド浩太郎

 

新書大賞2018を受賞した「バッタを倒しにアフリカへ」の前日譚。

一介の大学院生が少しずつ研究者として成長していく過程を描く、抱腹絶倒ビルドゥングスロマンであり、昆虫学の専門書とは思えないほど軽妙な筆致で描かれる、良質な科学入門書である。

しかしながら「バッタを倒しに~」以上の知的興奮が味わえるところは専門書の面目躍如たるところ。師匠の手を借りながらも次々と新発見を繰り返し、仮説を実験で裏付けしていくその手続きはとても鮮やかで、面白すぎる文章の裏に隠された著者の凄さをひしひしと感じるのだ。

昆虫に興味のない方や、今後科学分野に進みたいと考えている学生にぜひ読んでほしい一冊。ただいま海外武者修行中である著者の復帰が待たれる。

 

高崎立郎(ジュンク堂書店高松店 店長)

「絵を見る技術」朝日出版社

著者:秋田 麻早子

 

素人が生身で絵画と向き合うことはなかなか難しい。

初見で感じた印象から次は、絵の横に架けられた「この作品が書かれた頃、画家は云々」といったパネルを読んでやっと理解した気になる…その繰り返し。

この本は、そんな我われ素人が身につけるべき、絵画をきちんと見るために必要な「ビジュアルリテラシー」の基本について、一から教えてくれる良書。

例えば第一章は、「この絵の主役はどこ?」と題されており、まず着目すべき絵画の焦点について解説が始まる。

光がばっちり主役に当たっている絵はわかりやすいが、そうでない場合は何を頼りにすればよいのか。丁寧な解説と共に、具体例となる絵画も多数掲載されており、「どんどん身についてくる」感覚が味わえる。

美術史や図像学、画家の生涯といった知識がなくとも、「その名画が名画たる条件」を判別する力が身につく、人生を変える一冊だ。  

高崎立郎(ジュンク堂書店高松店 店長)

 

「ほがらか人生相談」朝日新聞出版

著者:鴻上 尚史

 

鴻上尚史の「あとがき」が好きだった。

よく読んでいたのは大学生の頃だ。「ハッシャ・バイ」「トランス」「スナフキンの手紙」などの戯曲を買い、読みふけっていた。実際の舞台はどれも行かずじまいだった。

どこで公演されているかも知らず、調べる手段も気概もなく、そもそも観劇に回せるお金がなかった。90年代後半当時、それらの舞台は既に過ぎ去ったものだった。

私は古生物学者が生痕化石を見て恐竜の生活を想像するように、安いアパートの部屋に独りこもって戯曲を楽しんでいた。戯曲の最後には必ずあとがきがついていて、なぜこの戯曲が書かれたのか、また演劇とは何かということについて、とても明解に、且つ詩情豊かに書かれていた。そしてまた、劇団主催として若い役者に囲まれ、彼ら彼女らとともに様々なトラブルに直面し、一緒に悩みながら舞台を作ってきた苦難の吐露でもあった。

本書を読むと、その「あとがき」を思い出す。

「人生相談」を受け止め、整理し、問題を分け、ひとつひとつの原因を可視化し、解決の可能性をそれぞれ共に探る。この「ほがらか人生相談」のあとがきにあるように、これは著者がずっと舞台で行ってきた「演出」と実は不可分であり、だからこそ私達はプロの仕事に胸を打たれるのだ。  

高崎立郎(ジュンク堂書店高松店 店長) 

 

「ドーナツを穴だけ残して食べる方法」

ショセキカプロジェクト:編  日本経済新聞社

 

タイトルだけで惹かれてしまう。

一線で活躍する大阪大学の研究者たちが『ドーナツを穴だけ残して食べる方法』というテーマで、様々なエッセイを寄稿した本。元は同大学の学生たちが「自分たちで本を作るプロジェクト」として大阪大学出版界から出版されたものが文庫化し、手に取りやすくなった。

そもそものテーマが矛盾をはらんでいるため、「次はどんな屁理屈で自分の研究フィールドに話を持っていくのか」という話の展開が楽しい。みんな残す気もないし食べる気すらなかったりする。

個人的には化学の話(「ドーナツ型オリゴ糖の穴を用いて分子を捕まえる」)が面白かったしワクワクした。大学一年生向けに編まれたというものなので、どのエッセイも専門的すぎず門外漢でも読めるわかりやすさとなっている。誰が読んでもどれか一つは引っかかるものがあるだろう。

       高崎立郎(ジュンク堂書店高松店 店長) 

 「白鯨」

ハーマン・メルヴィル

10代の頃、「世界の名作文学」を読もうとしてある本で挫折した。それが『白鯨』だった。完全に読み方をわかっていなかった。国語の授業で習うような読み方しか私にはなく、白鯨はそれとは全く逆の、洋上の嵐に揉まれて磨かれ抜いた言葉たちであり、テクストであった。

それから10年以上経ち、改めて挑んだ白鯨は素晴らしかった。「世界の名作文学」だなんて構える必要もない、素直に笑えて素直にむさ苦しい小説だった。船は(誰もが知るように)狂気のエイハブ船長の元で破滅へと向かうのだがその過程が、一つ一つの語り口が楽しい。船に乗り込む前から、安宿で食人族の銛打ちクィークェグと同衾する羽目になり(しかもその後親友になるあたり)爆笑である。

古典はたしかに偉大だ。だがその偉大さは「権威的である」という意味ではなく、普遍的な親しみや可笑しさで、時空を超えて輝き続けるという点において見出されるものなのだ。

       高崎立郎(ジュンク堂書店高松店 店長) 

 

「昼の家、夜の家」

オルガ・トカルチュク

「さあ今からポーランドの小説を読むぞ」と身構えてしまうと「二つの大国に挟まれ歴史を奪われてしまった国の、アイデンティティを探るお話」として読んでしまいがちだ。

それはそれとして文学的価値のあることかもしれないが、「昼の家、夜の家」での読書はテクストに充満する空気を味わうことに終始してしまった。

「空気」とは森林とその中心たるキノコの気配だ。夜、都市部で人々がインターネットを介して繋がる時も、森林の風─木々の葉や樹皮、それに湿った土の匂い─が同時に紡がれていく。そしてキノコ。

キノコが重要な小道具としてしばしば登場する。それは主人公の住まいの傍らにあり、森林と都市を、また現代と中世を行き来するこの物語において、インターネット以上に主人公の内面世界を拡張する。一言で済ませればこれは幻視の物語なのかもしれない。

しかしながら常にキノコの気配を感じ、キノコが纏う森林の風を感じながら、重厚で多層的な海外小説を読み進めるという体験はなかなか得難いものであった。

       高崎立郎(ジュンク堂書店高松店 店長) 

 

「分別と多感」

ジェーン・オースティン

小さい世界の悲喜こもごもを描かせたら誰もかなわないジェーン・オースティン。およそ200年前の小説だが、魅力は色褪せない。

その彼女による「完璧」と言ってよいデビュー作。

「分別」を体現する自律的な姉エリナーと、「多感」の代表者として情緒的に突っ走る妹マリアンの対比が面白い作品だが、エリナーがいかに打算的で感情に揺さぶられているのかを丹念に深読みしていくとさらに味わいが増す。

次作「高慢と偏見」や「マンスフィールドパーク」が世間的には有名で評価も高いが、エンタメ性は本書が上回る。

まさにオースティン入門に最適なので、これをまず読み、次に「高慢と偏見」を読んで、ついでに「高慢と偏見とゾンビ」と読んでいくルートがおすすめ。

       高崎立郎(ジュンク堂書店高松店 店長) 

 「鏡は横にひび割れて」

アガサ・クリスティー

アガサ・クリスティーといえば「名探偵ポアロ」シリーズが有名だが、個人的には「ミス・マープル」のシリーズの方が気に入っている。その中でも好きなのはこの1作だ。

ミス・マープルは老婆である。体力も膂力もない。その老婆が「人生経験」だけで犯人を見抜き、トリックを見抜き、事件を解決へと導くのである。

そして時には、第二の犯行を未然に防いだりもする(これは金田一耕助にはできない芸当)。「ババア、超かっけー!」と読みながら震えるわけである。

本作では、誰の恨みも買わないような人の良い中年夫人が毒を盛られて殺される。意外な犯人(シンプルに考えれば自明なのだが)、意外な動機に読者は驚くかもしれない。しかし、マープルは冒頭より完全にお見通しなのである。ババアだから。

ミステリ史上最強の老婆の魅力がふんだんに詰まった作品。ミス・マープル最初の事件である「牧師館の殺人」も良いが、次に読むならこれがおすすめだ。

       高崎立郎(ジュンク堂書店高松店 店長) 

 「弓と禅」角川ソフィア文庫:オイゲン・ヘリゲル

 

 とても短い読みものだ。ドイツ人哲学者である著者が日本での滞在中に弓道へ入門し、「弓を射る」というただそれのみを体得していく過程を綴った本である。

 故スティーブ・ジョブズが愛読していたということでもよく知られている。

 ドイツ人の目で描かれた弓道に「なんと奥が深いものか」と感激すると同時に、本当は自分とは関係のないことなのかもしれないけれど、「日本」のことを「外国」の人が受け入れ、愛してもらえたのだという実感もわいてなんだか嬉しくなる。

 さらに、現代日本が振り捨ててきてしまったある種の「精神性と身体感覚の回路」というものがここに記録されており、眠っていた鉱脈を掘り当てたかのような興奮も味わえる。無性に弓道を習いたくなる一冊。

       高崎立郎(ジュンク堂書店高松店 店長) 

 「独ソ戦」岩波新書:大木毅

 

 不謹慎極まりないことを書くが、戦争は面白い。戦車は無骨でかっこいいし、戦闘機はセクシーだ。

 兵器も随分魅力的だが、戦争それ自体も大変興味深い。そして「独ソ戦」は最高に面白い読み物だ。さらに付け加えるなら、最高に気が滅入る読み物でもある。

 何しろ戦死者数が桁違いだ。ソ連軍だけでも518万人。地獄。むごたらしさのスケールが大き過ぎる。

 戦争について学ぶことは、地獄はどうやって現実化するのか、その失敗の検証を行うことだ。決して一人ないしは数名の権力者に責任を転嫁してはならない。この本は様々な側面からそれを訴えかけてくる。そして導き出されることは、平時だろうと戦争は常にアクチュアルで、我々は直接間接を問わず加担しているという事実だ。

 戦争は面白い。なぜならそれはどんなに頑張っても誤謬を避けられない「人間」と不可分の領域であり、過去の戦争の悲惨さすべてが現在を生きる我々の汚点、未来まで続く我々の愚かしさ、まさにそのものであるからだ。

       高崎立郎(ジュンク堂書店高松店 店長) 

 「アナバシス」岩波文庫:クセノポン

 

古代ギリシア。ペルシャ王国に傭兵として雇われていたギリシア人一団が、突如追われる身となり、メソポタミアから遠い故郷を目指して6000キロを歩く。糧秣も乏しく、敵国のど真ん中でいつ襲われるかもしれない恐怖の中でのギリシア帰還は困難を極めるが、知恵と勇気でその困難を乗り越えていく。

そんなとにかく燃える設定のお話なのだが、これがフィクションではなく、実際に体験談として書かれているのが本書である。

もうあらすじだけでも興奮する。淡々とした文体も読みやすく、ぐいぐい引き込まれてしまう。

確かに二千年以上前の著作だが、遠い昔の話と身構えずに手に取ってほしい。

当たり前のことに悩み苦しみ、故郷の家族に思い焦がれ、迷いの中で戦う、我々とそう変わらない人間たちがそこにいるのを見出せるはずだ。

       高崎立郎(ジュンク堂書店高松店 店長) 

 「マルタの鷹」創元推理文庫:ダシール・ハメット

 

小説ではなく映画の話から入るが、ハンフリー・ボガードが格好良すぎる。

彼の演じる主人公サム・スペイドがあまりにも硬派でスタイリッシュなため、ついつい誤解してしまう。「マルタの鷹と言えば男の美学!男の美学って『職分に殉じる』とか『仲間を大事にする』とかそういうとこだよねー」といった誤解だ。

村上春樹の著作にも言えることではあるが、ハードボイルドという作法は別に「男の美学」を説くためのものではない。ハードボイルドは言動と心理を分離する実験であり、情報を圧縮する技術なのだ。

原作となる小説を注意深く読むと、サム・スペイドは美学どころか小物で一貫性がなく、状況に対してもがき続けている。この「注意深く読む」を喚起する小説として本当によくできていて、しかもお話としてめちゃくちゃ面白い。映画と小説どちらから入ってもいいと思うが、どちらも別の体験としてしっかり区別して楽しんでもらえたらと願う。

       高崎立郎(ジュンク堂書店高松店 店長) 

 「アイの物語」角川文庫:山本弘

 

人工知能元年、と言われて幾年かが過ぎた。シンギュラリティとやらがどうやら迫っており、放映中の仮面ライダーもそれが物語のベースになっている。

で、結局何が起こるのかわからないまま日々は過ぎているが、私の中には一つだけこれはという予測があって、なにかと言えば「人工知能が人間を駆逐しようするような未来は来ないだろう」という楽観だったりする。

なんせシンギュラリティである。人間を超えてしまうものが人間のような愚かな真似をするはずがない。もっとエレガントなやり方での生存や繁栄を実現するはずだ。

この「アイの物語」はそういった未来予測をテーマにした連作短編集であるが、大半は人工知能の話ではない。むしろ人間の不完全さを描くSFだ。

もちろん小説のような未来は来ないかもしれないし、「人間の雑事を人工知能が全部肩代わりする」なんてことにもならないかもしれないが、考えの一助にはなるだろう。それはやはり、この小説の大きな要素を占める「フィクションの力」であり、この小説は「そんな力のある小説」の一つなのだ。

       高崎立郎(ジュンク堂書店高松店 店長) 

 「狛犬学事始」ナカニシヤ出版:ねずてつや

 

風景に溶け込んでしまっているけれど、改めて観察したり、AとBを見比べたりして楽しむ何かしらの「物体」があれば、散歩は楽しい。

かくいう私は狛犬ウォッチャーである。「いい狛犬」「個性的な狛犬」がいるとついつい写真を撮ってしまう。(ところで岩清尾八幡宮の狛犬は最高ですね。首がなくて可愛い)

もちろん対象は狛犬でなくてもなんでも良いわけで、草花、表札、鉄塔など町はいつでも発見とワンダーの扉を開いてくれている。

本書はそんなウォッチャーに向けて書かれた、「この観察趣味がどうやったら学問になるのか」を試行錯誤する記録だ。データを集め、分類する。起源を調べ、資料を掘り下げる。狛犬の文化とはそもそも何かを考える。その過程一つ一つが綴られている。

実際に「狛犬学」がこの一冊で確立されたというわけではないが、本書を読むことで「自分の好きな物、好きなことをどうやって形にするか」のヒントが必ず得られると思う。       

高崎立郎(ジュンク堂書店高松店 店長) 

 「ノルウェイの森」講談社文庫:村上春樹

 

高校生の頃、「なんかエロいらしいぞ」という噂を聞きつけ手を出した。

衝撃だった。初めて読む類の珍妙でいてあまりにも的確な比喩表現に打ちのめされた。「大人の読むベストセラーとはこういうものか」と当時の私はひどく感激したが、以後「ノルウェイの森」に匹敵するようなベストセラーにはなかなか出会えなかった。

さて、この小説は一言で片付けると「春樹meets東京」。

東京という強大な都市(システム)に呑まれる個を悼み、鎮めるレクイエムであろう(あくまで私の見解ですが)。主人公が嫌う連中も、親しく付き合う連中(永沢さんや緑)も、否応なしに罪を背負わせてくる。

であるからこそのラスト、何もかも喪失した「僕」は緑に対しての自分の今いる地点を、座標を見失うのだ。       

高崎立郎(ジュンク堂書店高松店 店長) 

「生物と無生物のあいだ」講談社現代新書:福岡伸一

 

「サイエンス読み物を求めて買ったつもりが、読み終わったら文章に感動していた」というケースが2例ある。1つ目はスティーブン・ジェイ・グールド「ダーウィン以来」であり、二つ目が本書だ。

ニューヨークの街並み描写から始まる第1章で、その筆致が辿る情景の鮮やかさと、野口英世像からウイルスの話へ導入されるという巧みな構成に、腹の底から唸った。この人はすごい。すごいすごいと感激していたら、あっという間にベストセラーになった。さもありなん、といった気分であった。

13年経った今改めて読み返して、やはり文章の巧みさに鳥肌が立つし、センスに感動する。「タンパク質のかすかな口づけ」という章題にもしびれる。第一に何よりもわかりやすい。ウイルスとは何なのか、生命とは何なのかについて読む前におぼろげだった輪郭が、くっきりと感じられるようになる(気がする)。間違いなくここ20年に出たサイエンス読み物の最高峰であろう。    

高崎立郎(ジュンク堂書店高松店 店長) 

「真夜中の子供たち」岩波文庫:サルマン・ラシュディ

 

「真夜中の子供たち」が文庫化した。ラシュディの別の著作をめぐる世界的な騒動と、付随して起こったと見られる凄惨な事件についても降り積もる時の塵の中に埋もれてしまったということか。何にしてもめでたい。

さて、本書はマジックリアリズム小説である。語り手サリームは過去三代に遡り、自身を織り上げてきた運命の縦糸横糸について一つ一つ描き出していく。そう、ガルシア=マルケス「百年の孤独」やグラス「ブリキの太鼓」と同じ手法だ。知名度こそこの2作品に劣るが、この2作品に並ぶどころか超える興奮を「真夜中の子供たち」は秘めている。

ひっそり超能力を使える子供として成長するサリームや仲間の辿る道程は、インド独立/パキスタン分離の歴史と重なり、様々な暴力の波に晒され続けていく。

時代の激動を物語るのに「マジックリアリズムという装置だけがそれを可能にしたのだ」と読みながら非常に納得できるし、何より読んでいて面白い。とにかく手放しでお勧めする。全人類必読の傑作である。    

高崎立郎(ジュンク堂書店高松店 店長) 

「鼻行類」平凡社ライブラリー:ハラルト・シュテュンプケ

 

基本的に、読書は役に立たない。

変な知識が身につく場合はある。しかし、読めば読むほどいろいろ忘れていく。ちゃんとアウトプットを繰り返さないとインプットは身につかないものだ。

さらに、知識には全くどうでもいいどころか邪魔にすらなる知識だってある。鼻行類はそんなムダ知識の詰まった書籍だ。

本書ははっきり言ってしまえば偽書である。偽の図鑑であり、偽の生態学研究書。この世にいない哺乳類を「新種が見つかった」という程で紹介する、ともすれば害悪的な書籍と言えよう。

とはいえ、この本を読んでいる時の妙な喜びはなんだろう。どうでもいいことを頭に叩き込む快感。事実として、脳みそは無駄を求めている。

役に立たなさで言えば間違いなく一級品なので、全くお勧めはしない一冊である。しかしまあ、読書体験としては最高のものが待っている(かもしれない)パワーを持った一冊ではあるのだ。    

高崎立郎(ジュンク堂書店高松店 店長)